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生きている理由がいくつあるか?

現代は混沌としている時代だと思う。先日のセミナーでは戦後から現在までをざっと振り返ったが、戦後しばらく続いた大量生産大量消費時代の終焉とともに、あきらかに組織と人の考えが変わった。規格化された人の教育による組織人の供給を目的にしていた時代は出る杭は打たれた。しかし、個人の重要性が認識され始めるとともに、有名ではなくとも例えば「おたく」として楽しく生きている人が出てきた。そんな自分勝手な生き方の人を最初はバカにしていたエリート組織人も、会社が傾きリストラされると、会社と肩書きがない自分に狼狽する。自分とは何か?自信を持っていたものが、役に立たないどころかそのプライドが自らを苦しめる。そして名もなくみすぼらしく見えた自分の世界や居場所を持っている人達が、実はフォローワーがいて人生死ぬまで崩れないクラスターを形成していることに関心する。

エリートビジネスマンは人生と言う視点で大きな間違いを犯していることに気がつくだろうか?

それは生きる楽しみや生きる意味を自分で決めていないと言うことだ。会社と言う法人格への信奉が幸せを生み出す時代ではなくなったことに気がついているだろうか?

個人はDNAが違い、生まれた環境も経験も様々だ。その生き方は将棋や囲碁の手数と比較しようもなく全て違う。人の数だけ違う人生がある。

今の時代は出る杭は打たれない時代だ。将来はわからないが。

自分の生きる意味をいくつも持ってその人生を生きる。親でもあり、子でもあり、一人の人間としての役割や目的や楽しみを持って生きる。

それがいくつもあればさらに楽しく充実している。

落ち込んでいる暇などない。

今やるべきことは確証はなくとも、自分の生きる意味へつながることだ。
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