清原和博。

覚醒剤をいったいどれほど使っていたのか。

あれほど金と暇がある男で覚醒剤の魔の手に染まれば止まることを知らない量の使い方でしょうね。

この件について私の立場から感じたことを書かせていただきます。

私は自分の人生と仕事のキャリアを歩み続けながら、みなさんの転職のお世話をしたり、キャリアカウンセリングをしています。

世間的に言えば立派に出世した部類に入る方とお会いすることが多い仕事です。

その経験の中で今回の清原和博の問題は、まず、どんなに立派に見える人も人間である以上弱さを持っているが、清原和博もやはり持っていたのかという思いが沸き起こりました。

大活躍して歴史に名を残す人も私達凡人も同じ人間であり、言うまでもなく弱さも強さも併せ持っています。

清原和博は私にはその弱さがかなり異常に強く見えます。
でかい図体にもかかわらず、日焼けした顔や入れ墨やヤクザ風(今時ヤクザがあんな格好してますか?)の服装など、なぜそこまでしなければならないのか?

おそらく彼は自分の生来の異常な性格の弱さを隠すための行動が彼の最初の野球の栄光の原動力だったに違いありません。頑張ることで弱い自分を他人にも自分にも隠していたのです。

しかし、その栄光を手に入れてしまうと、もう自分の弱さを隠すだけの目標が見つけられなかったのだと思います。頑張るものがないと見えてくるのは自分の弱さだけです。

強い、成功者としての自分が異常な弱さを実は持っているということを認めることも暴露することもできない。それがまた弱さです。

なぜ絶頂期に覚醒剤に手を出したのか?
報道では、打席に立つプレッシャーが大変だとか書いていましたが、それだけでしょうか?

私には絶頂期だからこそ、大きく育った虚像の清原和博を隠すためだと感じます。本当は気が小さい自分を今更世間に見せることは出来ない。酒も女も全て異常なまでに遊びつくしているのは、普通の生活を送れないほどすでに精神が病んでいたか、その手前にいたように思います。

ですから清原和博がなぜ、最初に覚醒剤を使ったのかをぜひ知りたいと思います。


私は人が成長するのに、自分の弱さやコンプレックスの存在が必要だと思っています。

ですから、成功した人は立派に見えるその裏側の隠したい自分が必ずあります。

それを露わにしたら、イメージダウンするかもしれないと考えて成功者はその裏側を決して話しません。美談を後から作るのが普通です。

弱さやコンプレックスは誰にでもあり、特に思春期には強烈に自己否定を感じます。どうしようもない自分に苛立ち、なんとか克服しようともがきます。

それが生きる強いエネルギーとなっています。

しかし、普通ならそれも歳を重ねて落ちつき、エネルギーも弱くなって行きますが、清原は違ったのでしょう。

いくつになっても自分の弱さを出すこと、自分で認めることが出来なかった。

清原和博が立ち直るには、自分は弱くていいんだ、と自覚することです。

普通に朝起きて夜寝るまで生活して行くことの尊さを腹の底から理解しないといつまでも嘘の自分と付き合って行くしかありません。

そのことが薬物の禁断症状が治まった時の清原和博の苦しみであり、それから解放されないとまた、弱さを隠すために覚醒剤に手を出すでしょう。


いつもお読みいただき、ありがとうございます。ブログランキングの上位表示にぜひ協力お願いします。バナーをクリックして下さいね。このバナーです!

社長ブログランキングへ
image