日本人は、まだ「和のアイデンティティ」を持ち得ていない。

そう書きました。それは、「和」の心が「アイデンティティ」とまでは進化してないからだと私は思っています。

「アイデンティティ」ともなれば、日本人は他国の人と自分の自我を通して、主義、主張のような相手を動かす力となります。

しかし、その和の心の原型は既に日本人の中に深く根差しています。

それは何故かということを知らないと始まりません。



私は縄文時代にその意識や風土が作られて定着したと考えています。


縄文時代は、紀元前1万4千年前から、紀元前10世紀ごろまで続いたと言われる世界でも稀有な文明です。


初期のころはまだ、北海道と樺太は繋がっていて、瀬戸内海は無く、一つの大きな陸地になっていたようです。

きっと多くの古い縄文時代の遺跡は海の中に眠っているのでしょう。


縄文時代は1万年もの長きに渡り続きましたが、お互いに争ったような記録が無いことが知られています。

永く続いた文明であることは、同時にお互いに殺し合いをすることがなかったからとも言えます。


ではなぜ、縄文人は争わなかったのか?

これこそが、日本人の「和」の心のルーツかもしれない。

私はそう考えています。


私ははじめ三つの理由を考えました。


一つは、狩猟採取生活がメインで、お互いが協力し合って生きていかなければならなかったことです。

何十世代も受け継がれた生きる知恵こそが、みんなを一つにしていたと思います。


二つ目は、徐々に完全な島国となったことで他国からの侵略が無かったことです。


三つ目は、人口密度の少なさです。

縄文時代は後半には寒冷化した気候の影響で人口が減りましたが、最大でも26万人ということが書いてあります。

26万人という推計も最大になった時代で、ほとんどは数万人から10万くらいと言われています。

10万にとして一つの集落に仮に100人として1000箇所。
今の日本には市町村が1700ありますから、隣の部落(ムラ)までは何キロか離れていたと思います。


しかし、その後この3つの理由とも関係しますが、和の心を持つようになったもっと別な理由があるのではないかとたの考えがでてきました。


それは次回にお話しします。



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代表取締役社長 海老一宏

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写真は浜松町の北口横のモノレールの駅です。

あと10年すると景色は様変わりします。

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