縄文人が和の心を持つようになり、それが今の私達に繋がっている。

では、何故縄文時代に和の心ができたのかを前回三つの理由でお話ししました。


実はその後あるきっかけで、もっと私は納得できる理由に辿り付きました。

それは、宮崎県にある日本治水株式会社の宮脇社長の紹介でお会いした、同社取締役で高知大学名誉教授、前農学部長の石川勝美博士との出会いです。

石川博士は、水の化学的物理的な研究の第一人者であり、さらに地球環境の研究にまで広範囲に研究されている先生です。

私は石川博士との会話で、水が単なる物質ではなく、生命のゆりかごになったように、人間の生活に重要に関わり、それが風習や文化にまで関係しているのだと悟りました。

私は、石川博士との会話の最中に、和の心と水の関係について閃きました。

それは、私には考えもしなかったアプローチであり、驚くような新しい意識の芽生えでした。

宮脇社長と石川博士に会わなければこの考えは永遠になかったのだと思います。
本当にありがたいご縁です。



日本は、世界でも稀な素晴らしい水質と水量があり、水脈も川や湧水として豊富です。

(中国人のガイドは、日本に観光に来た中国人にまず日本のビールを飲めと言うそうです。中国の水で作られたビールと全く美味しさが違うとか。中国の人の水の味問題を垣間見えるお話しです。)


縄文時代は、四季折々に旬の食べ物を変えながら生活してきたのですが、豊富で素晴らしい水質の存在は、食物の価値をさらに高めたのだと思います。

そして、枯れない水の存在は、部落(ムラ)を定着させ、その生活様式を安定させました。

おそらく縄文人は365日、部落の水脈を中心としたルーティンができており、その生活様式を守ることが生きる最善の判断となり、そこから外れてしまう考えを排除したに違いありません。

水とともにある毎日四季折々の繰り返しが大事だったのです。

他の水脈を侵略する必要もなく、部落にいれば安定して生きていけたのです。

このことは、部落内の長老から子供までの役割や結束を生み、風習や文化を作り出します。

私達の祖先は、敢えて集団から外れることをせず、さらにそれが近隣の部落と全体の統一と調和をすることが、自分達の存在に取って一番最善だという判断となったのだと思います。

他人と自分と言う概念は必要が無く、個を意識する必要は無かったのだと言うことです。


つまり、水は縄文人の集団を作り、生かし、生活様式やルールを作り、周辺の部落とも調和し、個人の概念を必要としない「和の心」の原型を作り出したのです。

この考えは、逆にもし水が貴重であったらどうなってきたかを想像すればわかります。

おそらく水場を巡る争いにつながり、部落を意識し、個人の力を認識することになると思います。


このように日本における水は、単に生命活動に必要な水という物質の機能だけでなく、私達の祖先縄文人の、争いをせず、調和する「和」の心を作ったのです。

自分のことよりも、他人のこと、部落全体の調和を優先することが理にかなっていることが、自己のアイデンティティが不要になった理由ではないでしょうか?


これが私の水と縄文時代が作り上げた日本人の「和」の心の原型だと思います。


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